1970年代から続く、この市民手づくりの祭りに30年以上にわたって関わり、第50回中之島まつりの実行委員長を務めた竹村 徹さんに『中之島まつり』が生まれた経緯や開催におけるエピソードを語っていただきました。
(トップの写真および★マークは、中之島まつり実行委員会提供)
■この美しい建物と景観を残したい-そんな想いから生まれた『中之島まつり』
-すでに50年も続いている『中之島まつり』ですが、そもそもはどのような経緯で始まったのでしょうか?
「私も最初から参加していたわけではないので、聞いた話ですが・・・。当初は、中之島の景観を守ろうというところから始まったそうです。当時『中之島東部地区再開発構想』というものがあり、旧市役所と図書館と公会堂の3つの建物を高層ビルに建て替えると、大阪市より発表されました。
その当時の昭和40年代はスクラップ&ビルドの考え方が強く、古いものは壊して建て直そうという風潮がありました。しかし若手の建築家を中心に『明治、大正の名建築を一度つぶしてしまうと二度と建てられない。絶対に残すべき』という意見が出て、反対運動が起こったのです」
-リノベーションが流行っている現在では、あまり考えられないような話ですね。
「そうなんです。でもその頃の公会堂は見捨てられたような状態でした。設備はボロボロでエアコンもない。音響も悪いし、使いづらい施設で、建て替えるしかないと思われていました。しかし、この場所の歴史的価値をもっとたくさんの人に知ってもらうことが必要ではないか、ということから『祭りをして、人を集めよう』という話になったそうです」
-市民に中之島を再発見してもらうために、祭りを始められたのですね。
「『川と緑と赤レンガ』をキャッチフレーズにしたそうです。大阪市内のど真ん中に川に挟まれた公園があって、そこに赤レンガのとてもきれいな建物が建っている、こんな素晴らしい場所が大阪市内に残されているということを、ご存じない方も多い時代でした。
『とにかく難しいことは抜きにして人に集まってもらい、大阪のど真ん中にこんな素晴らしい場所があるということを知ってもらえたら、それでいいやないか』というのが、そもそもの第1回の祭りの開催動機ですね」
-ということは、自治体などの主導ではなく、市民の中から生まれてきた祭りということでしょうか。
「そうです。みんなで集まって大騒ぎするのが楽しい、お祭りが大好きという市民が、手弁当でやっています。だから常に大変(笑)!
中之島公園というのは大阪市のものですから、そこで何かをするというのはとっても大変なことで、許可をいただくのはもちろん、資金集めから当日の設営、後片付けから苦情の対応と、一切合切を自分たちでしなければならなかったわけです」
■祭りをすることが、世の中や人のためになる。それが35年、続けられた理由
-竹村さんが祭りに関わるようになったきっかけは何だったのか、お教えくださいますか?
「最初は友達に誘われて入りました。
世の中にいっぱい『市民まつり』はありますが、たいがい観光協会や青年会議所といったバックボーンになる支援団体があるんです。でも『中之島まつり』は市民が始めた完全ボランティアの祭りなので、自分たちだけでやらねばならないことが多い。常に人手不足だから、参加している人は友達を誘うわけです。こんなことしたいけど一緒にやってくれないか、と。親兄弟を誘ってくる人もいました」
-当時は別にお仕事をされていたのですよね?
「はい、サラリーマンでした。今でもサラリーマンですが(笑)。当時は製薬会社の研究所に居ました。現在は戎橋筋商店街の振興組合で働いています」
-竹村さんが『参加してみよう』と思った理由は?
「みんな最初は彼女や彼氏、友達を作りたいからといった理由ではないでしょうか。祭りの世話人代表で、昔、大学の先生をやっていた人が居て、学生をいっぱい動員していたのです。当時は若い人が多かったし、私も25歳ぐらいでしたから、そういうのも目当てというか(笑)。
それに幅広い年代の人が居て、色々な人と話ができるというのも魅力でした。地域も仕事も関係なく利害関係のない、普段なら全く接点のない人たちが集まって、様々な人と知り合えるのがよかったですね」
-学園祭のノリですね!
「そうです。たとえばバンドを演っている人から『ステージでライブ演奏したい』という声も上がります。でも最初は白紙からのスタートなので『ステージに出たかったら自分でステージを作れ』と。
要するに『出たい者が、自分で作って出る』という祭りなんです。自分のやりたいことが100%ではないかもしれないけれど、実現する。それが『中之島まつり』のいいところだと思います」
-第15回の祭りに20代半ばで参加され、それから約35年経ちましたが、なぜ竹村さんはずっと実行委員会に参加されているのでしょうか?
「私は学生時代から『段取り屋』でした。いろんなことを段取りしていくのが好きだったのです。そんな私にとって、祭りの事務局の仕事は、すごく魅力的に思えたわけです。
それと祭りでの人との出会いや『全ての責任を持ってやりたいことを、やる』という経験が、世のため、人のためになっているのではないかと思いました。社会をよくするための一助になっているかもしれないなら、これは続けていく必要があると考えるようになり、そして今に至るわけです」
■コロナ禍を乗り越え、ようやく開催。今年のテーマは「まつりはつづくよ、どこまでも」
-今年の祭り(2023年5月)のテーマですが、このテーマは実行委員長である竹村さんがお決めになったものですか?
「みんなで話し合って決めます。だいたい前年の9月ぐらいになると『来年は、テーマどうしよう?』ってなるのです。みんなが取り組みやすく、なおかつ時代性があってフックになるような言葉がないかと、ああでもないこうでもないと決めていきます。
第50回のテーマである『まつりはつづくよ、どこまでも』は、50回目という節目を迎え『100回目も目指したいよね』という意味を込めたものです」
-コロナ禍で2020年、2021年に開催できなかったということも、影響しているのでしょうか?
「それはありますね。祭りができなければ、売り上げが入らず必要経費も賄えなくなります。それが去年(2022年)からできるようになって、何とか続けられることができて、本当に良かったと思っています。開催のためにクラウドファンディングもしてきました。台所事情は、依然厳しいですが、何とかこれからも続けていくぞという覚悟も表しています」
-今(取材時2023年9月)は、そろそろ次回に向かって進めようとしているところだと思いますが、竹村さんは実行委員長としてどのように進めていかれる予定ですか?
「いや、私が実行委員長だとは決まっていません。たぶん、私がやるとは思うのですが・・・。第50回の実行委員長ではありましたから『前実行委員長』という肩書になるかと思います。実行委員長は、毎年、祭りのたびに決めています」
-えっ、委員長ではないのですか!? ずっと実行委員長を続けられると思っていました。
「そもそも、1年を通じて実行委員会という決まった組織があるわけではないのです。祭りのたびに結成して解散しています。実行委員って誰なのかといえば『中之島まつり』に出店、出演する人、参加する人全員が実行委員なんです。だからみんなで『ああしたい、こうしたい』と、どんどん主張して欲しいんです。
できることは実現しますし、できないことは知恵を絞ってできるようにするか我慢する。そんなふうに、みんなで一緒に考えていきましょうというのが『中之島まつり』の在り方なんです」
-みなさんが一同に集まっての、打ち合わせの機会などがあるのでしょうか?
「いろんな出展団体さんが50ほどあり、それらの方々との集まりが月に1回程度あります。11月ぐらいから『全体会議』と銘打って、大阪市中央公会堂で会議をやっています。ここでいろんなことを決めて行きます。
それ以外では、ここの事務所(北区天満)で毎週水曜日に10人か15人ほど集まって話し合いを行っています。それが『執行部』といえるかもしれません。執行部でアウトラインを協議して、月1回の全体会議にかけ、進めていくというステップです」
このように『中之島まつり』は毎年、非常にオープンな姿勢で運営されており、まさに『草の根のまつり』ともいえるでしょう。
■21回目を迎える映画祭、フリマや手作り遊園地など盛りだくさんのイベント
-例年、5月のゴールデンウィークに3日間開催されていますが、何人ぐらいのお客様が来られますか?
「最近ではマスコミで取り上げられることも少なくなり、資金の関係から大きな宣伝もできないので、お客さまが来てくださるのか、とても心配していました。コロナで2回の中止を挟んだ2022年は、確かに以前に比べれば少なかったですが、それでも我々の予想より、はるかにたくさんの方に来ていただけました。
来場者数は、入場料をいただいているわけではないので正確には把握できませんが、だいたい1日に最低で1万人。多い時で3万人ぐらいではないかと思います」
-お客さまの世代としては、どれぐらいの方が多いですか?それと、やはりご近所の方が多いのでしょうか?
「世代としては、50代、60代の方が多いように思いますね。2019年の第49回の時に250名ほどの来場者にアンケートを取ったのですが、大阪市以外の場所から来られている方が約半数おられました。特徴的なのは、リピーターが約7割と多いことです。学生の頃、実行委員だったとか、ステージに立ったという人が約3割です。今でも毎年、来てくれているようです。
あとは、意外とお子さまも多いですね。お子さま向けの手づくりゲームを1回100円でやっているのですが、その売り上げが3日間で100万円を超えます。家族4人でやって来て、1日中、フリマでお買い物してゲームで遊んで映画を観て露店で食べたり飲んだりしても1万円でお釣りがきます!」
-『中之島まつり』の関連イベントとして、映画祭も開催されていますね。
「『中之島映画祭』の方は、今年で21回目になります。観客自身が審査員になってグランプリを決定するという、これも市民のための映画祭です。無料でご覧いただけます。
今年は全国から258の自主映画の応募があり、その中から3次までの審査を通過した9作品を公会堂で上映しました」
-9作品が無料で観られるというのが、いいですね。映画好きには、たまらない楽しみではないですか?
「そうだと思います。結構な力作ぞろいですので、ずっとご覧いただいても退屈しないと思います。そういえば、話題作で賞を貰った監督さんや、朝ドラなどにも出ている有名な俳優さんが自作を応募して、グランプリを獲得されているんです。
『中之島まつり』にお越しになったら、ぜひ、映画祭もご覧になってほしいですね」
-映画祭以外の催し物も、多彩で興味を惹かれます。
「メインステージでは、音楽やダンス、パフォーマンスの他、トークショーなども行っています。その他、フリーマーケット、スタンプラリー、それと先ほどもお話ししました、お子さま対象の『手づくり遊園地』もあります。飲食関係ではいろんな露店も出ています。家族そろって楽しんでいただけます」
■変化する中之島を舞台に、新陳代謝を図りながら継続していきたい
-すっかり中之島の風物詩として定着した『中之島まつり』ですが、竹村さんはこれから、どう運営していきたいとお考えでしょうか。
「手伝ってくださる方を増やしたいですね。私も20代の頃から35年、関わっていますが、やはりスタッフの高齢化が進んでいます。
今は40代以上が多くて、みんな20年近くやっています。中心メンバーとなる私たちが、50代後半から60代ですので、それを10年は若返らせたい。いや、若返らせないといけないと思っています。でも、なかなか・・・」
-スタッフの若年化以外に『まつり』として変えていきたいことはありますか?
「お客さまに楽しんでいただく祭りとしては、おおよそのことはできていると思います。先ほどのスタッフの若年化にもつながりますが、祭りに参加することを、もっと高度化する必要があるのではないかと考えています。
たとえば、祭りで手づくりのアクセサリーを販売することがきっかけになって、自分の新しいキャリア育成に寄与し、その方面に進めるといったこと。そういったことが明確にならないと、今の若い人には参加して貰えないと感じています」
-人の考え方や生き方も時代時代で変わっていきますから、難しいですね。そういえば、この35年で中之島の様子も変わったのではないでしょうか?
「変わりましたね!昔は街灯も少なく、夜になると真っ暗な公園でした。今はすっかりきれいになり、気持ちがいいですね。公会堂などボロボロだった建物も永久保存が決まり補修され、最新の施設のように生まれ変わりました。
大阪市のど真ん中で、自然と建築物が一体化されていて、なおかつ憩いの場になっている、それはとても貴重なことだと思います。そんな場所で自由にお祭りをさせてもらえるのは、我々にとって、とてもありがたいことだと思っています」
-最後になりますが、この『中之島スタイル』をご覧になっている方に、メッセージをお願いします。
「みなさんと、ぜひ一緒に『中之島まつり』をやりたい。興味を持っていただけたら、どんな形でもいいので関わっていただきたい。祭りの当日、来ていただくこともひとつの関わり方なので、来ていただくだけでも大歓迎です。
今回の話を読んでいただき『中之島まつりって、なんだろう』『自分でも、何かやってみたいな』と思ったら、ぜひ一緒にやりましょう。
待っています!」
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