【中之島散策~中之島人をたずねて】
中之島人の憩いの場、「珈琲の店ボア」


 

【中之島散策~中之島人をたずねて】
中之島の移り変わりを、50年以上にわたって見守り続けてきた、店主の室谷聖子さん。中之島の”母“ともいえる存在。
中之島の移り変わりを、50年以上にわたって見守り続けてきた、店主の室谷聖子さん。 中之島の”母“ともいえる存在。
 
フェスティバルシティから少し西、関西電力本店ビルの南側に、
幹線道路沿いの喧騒から外れ、落ち着いた喫茶店があります。その名は、「珈琲の店ボア」。
戦後間もなく中之島に誕生し、現在まで約70年にわたり、変わりゆく中之島の様子を
見守り続けてきたお店です。
地域の住民の方々はもちろん、中之島の多くの企業にとっても、人々をつなぐ
「コミュニティ」の場でありました。

1963年(昭和38年)に嫁いで以来、2代目として「ボア」を切り盛りしてきた店主、室谷聖子さんに、お話をうかがってきました。

1963年(昭和38年)、喫茶店に嫁いで、二代目店主に
「私が嫁いだ時は、義母がボアを切り盛りしていました。1948年(昭和23年)の開店ですから、できてもう15年ぐらい経っていましたね。というわけで、私は二代目です。でも当時からコーヒーや人気のミックスサンドは、同じ味を守り続けています」(室谷さん)
お店は、もともとはもう少し西にあったそうですが、阪神大震災の前年に今の場所に移転してきたとのこと。しかし調度品などは開店当時のものをそのまま、お使いだそうです。
「当時のお客さまがお見えになって、『懐かしいなぁ』と、しみじみと言ってくださるのが、うれしいですね」(室谷さん)

 

深い味わいのコーヒーと、開店当時から人気のミックスサンド。美味しいのはもちろん、ひと口サイズなので、食べやすいのも魅力。ミックスサンドのお皿も、開店当時の物だとか。
深い味わいのコーヒーと、開店当時から人気のミックスサンド。美味しいのはもちろん、ひと口サイズなので、食べやすいのも魅力。ミックスサンドのお皿も、開店当時の物だとか。
テーブル、椅子や壁の腰板などは、昭和23年の開店の時から使用していたもの。使いこまれる事によって、いい雰囲気を醸しだしています。「いいものは、長持ちするんです」(室谷さん)
テーブル、椅子や壁の腰板などは、1948年(昭和23年)の開店の時から使用していたもの。使いこまれる事によって、いい雰囲気を醸しだしています。「いいものは、長持ちするんです」(室谷さん)
お客さまと一緒に、作り上げてきたお店
「この店にある小物とかは、みんなお客さまが『置いてよ』っていって、持ってこられたものなんです。だいたいお店のロゴからして、当時、常連で通っていた竹中工務店の方が作ってくださったものです」
以前は、店でお客さまが鎌倉彫の教室をしていたこともあるそうで、その当時の彫り物もたくさん置かれています。

「ボアは、私たちだけだはなくて、お客さまと一緒に作りあげてきたようなものですね」と室谷さんは笑いながらおっしゃいました。
常連のお客さまにとっても、きっと「ボア」は掛け替えのない場所になっていることでしょう。

「珈琲の店ボア」の文字と木に留まるフクロウのイラスト、フランス語の「CAFÉ de BOIS」の文字からなるロゴマークは、常連だった竹中工務店の社員さんの手によるもの。
「珈琲の店ボア」の文字と木に留まるフクロウのイラスト、フランス語の「CAFÉ de BOIS」の文字からなるロゴマークは、常連だった竹中工務店の社員さんの手によるもの。
お店のマスコット(?)ともいえる、鎌倉彫のカッパ像は、以前お店を「鎌倉彫教室」に貸していた時の名残り。
大事そうに手入れする室谷さん。お店のマスコット(?)ともいえる、鎌倉彫のカッパ像は、以前お店を「鎌倉彫教室」に貸していた時の名残り。大事そうに手入れする室谷さん。
棚にいっぱい並んだ小物やアクセサリー類は、常連のお客さまから、旅行などのお土産としていただいたもの。「ボア」がどれほど愛されていたかがわかります。棚にいっぱい並んだ小物やアクセサリー類は、常連のお客さまから、旅行などのお土産としていただいたもの。「ボア」がどれほど愛されていたかがわかります。

 

「時代の変化を、肌で感じてこられた。それが中之島」
50年以上にわたってお店を切り盛りしてきた室谷さんから見て、中之島はどう変わってきたのでしょうか?
「私が来た時から、住宅はそんなに多くはなかったですね。今のように高層ではないけれど、企業のビルが並んでました。他にも大阪大学の医学部、歯学部、理学部があって、学生さんも多く、活気がありましたね」

室谷さんが来られたのは、ちょうど高度経済成長期。大阪の街が活気にあふれていたころです。
「当時は、みんなすごい勢いで歩いている感じで、力強かったですよ。それに大学紛争で学校が閉鎖されたため、この店で授業したり活発に議論したりして、にぎやかでした」

また近所に朝日新聞があるため、大きなニュースがある時は、雰囲気でわかるようになったといいます。
「朝日新聞から、車がザーッと出ていくのよ。『あ、何かあったな』って。そういうのも含め、中之島って、時代の流れとか変化を、ずっと肌で感じられる場所でしたね」

今やすっかり珍しくなった、喫茶店のマッチ。かつては、多くの人が愛用していたはず。このような懐かしい品に出会えるのも、長い歴史を持つ「ボア」だからこそ。
今やすっかり珍しくなった、喫茶店のマッチ。かつては、多くの人が愛用していたはず。このような懐かしい品に出会えるのも、長い歴史を持つ「ボア」だからこそ。
落ち着いた店内。以前とは場所が変わりましたが、雰囲気は同じ。こんな空間で、会社員や学生が、くつろいだり議論したり・・・。コミュニティの場として、今も格別な存在です。
落ち着いた店内。以前とは場所が変わりましたが、雰囲気は同じ。こんな空間で、会社員や学生が、くつろいだり議論したり・・・。コミュニティの場として、今も格別な存在です。
新しい小学校の誕生が、中之島に新時代を拓く
一時、ドーナツ化現象などもあり、住民がどんどん流出した中之島。そのため地元にあった中之島小学校も、統廃合されました。今、子どもたちは選択制により、北区や西区の小学校に分かれて通っています。
「小学校が分かれているでしょう。だからひとつにまとめられなくて、子ども会もないんですよ」と語るのは、室谷さんの長男の奥さまで、三代目として「ボア」を支える奈央美さん。

しかし、最近のタワーマンションの建設ラッシュもあり、都心に戻る家族が増えています。そして増加する子どもに対応するため、2024年度(令和6年)を目標に新しい小中一貫校ができることになりました。
室谷さんは「中之島の子どもたちが、ひとつになれるでしょう。そうしたら『ごりょうさん(御霊神社)』の祭りの時に、子ども神輿とか曳かせたいと思って! 実は町内会で、もう法被は作っているんだけど(笑)」と、とてもうれしそうに話してくださいました。

「中之島の川も、ひところはインクを流したように汚くてね。でも今はすごくきれいになって、魚も泳いでますよね。そんなふうに子どもたちが戻ってきて、中之島がまた活気にあふれるようになるのではないかな、と期待しているんです。楽しみですよ!」(室谷さん)
50年以上にわたって中之島を見守ってきた室谷さんにとって、中之島は大きな希望と可能性を秘めた街なのかもしれません。

以前、朝日新聞社の1階に掲示してあったパネル。ここに掲載されている写真は、室谷さんの亡くなられたご主人(光彦さん)が提供されたもの。歴史の証人のようなご一家です。
以前、朝日新聞社の1階に掲示してあったパネル。ここに掲載されている写真は、室谷さんの亡くなられたご主人(光彦さん)が提供されたもの。歴史の証人のようなご一家です。
「ボア」の三代目となる奈央美さんと。カウンターの向こうで和気藹々、とっても仲の良い嫁姑です。室谷さんの話を適度にフォローするなど、息もぴったり。
「ボア」の三代目となる奈央美さんと。カウンターの向こうで和気藹々、とっても仲の良い嫁姑です。室谷さんの話を適度にフォローするなど、息もぴったり。

 

珈琲の店ボア
住所
大阪府大阪市北区中之島3-5-24
電話
06-6441-1348
営業時間
7:00~18:00
定休日
土曜・日曜・祝日
アクセス
○地下鉄四ツ橋線肥後橋下車 徒歩約7分
○京阪中之島線渡辺橋下車 徒歩約3分