ようやく冬の寒さが緩み、三寒四温を肌で感じるこの頃。いよいよ春近し、というわけで今日は、毎年春季のみ一般公開となる「泉布観(せんぷかん)」を訪ねることにしました。
大阪のお花見の名所といえば「桜の通り抜け」で知られる造幣局ですが、その造幣局の近くにひっそり佇んでいる白い洋館が泉布観です。「泉布観」の一般公開は毎年、春分の日前後に行われますが、今回は特別に、一般公開前に見学させてもらえることになりました。
明治初期の桜ノ宮一帯は、大阪豪商の舟遊びの地だったそうですが、明治政府は大川に面したこの地に、新しく近代的な造幣寮(現在の造幣局)を建てました。造幣寮は貨幣の製造のみならず、化学・機械といった近代産業や、洋装・ザンギリ頭など近代文化の先駆けとなった土地。大阪の文明開化はここから始まったといってもよいかもしれません。
泉布観は明治4年(1871)、造幣寮の応接所として建てられた、現存する大阪最古の洋風建築です。泉布観の「泉布」は「貨幣」、「観」は「館」という意味で、明治天皇が行幸した際に天皇自身によって命名されました。明治初期の洋風建築の特徴を色濃く残すこの建物は、昭和31年(1956)という早い時期に、国の重要文化財に指定されています。
明治初期の桜ノ宮一帯は、大阪豪商の舟遊びの地だったそうですが、明治政府は大川に面したこの地に、新しく近代的な造幣寮(現在の造幣局)を建てました。造幣寮は貨幣の製造のみならず、化学・機械といった近代産業や、洋装・ザンギリ頭など近代文化の先駆けとなった土地。大阪の文明開化はここから始まったといってもよいかもしれません。
泉布観は明治4年(1871)、造幣寮の応接所として建てられた、現存する大阪最古の洋風建築です。泉布観の「泉布」は「貨幣」、「観」は「館」という意味で、明治天皇が行幸した際に天皇自身によって命名されました。明治初期の洋風建築の特徴を色濃く残すこの建物は、昭和31年(1956)という早い時期に、国の重要文化財に指定されています。
泉布観の設計は、造幣寮の全施設や東京・銀座の煉瓦街などを設計し、明治初期の日本の洋風建築の歴史に貢献した人物として知られるアイルランド出身の技師、トーマス・J・ウォートルスが手がけました。設計者が西洋人とはいえ、ザンギリ頭と髷(まげ)がまだ入り混じっていた時代、建設に携わった日本の工匠たちの苦労がしのばれます。
建物の主な特徴は、煉瓦造(れんがぞう)であること、建物の周りにヴェランダをめぐらした「ヴェランダ・コロニアル」形式であること、内部は天井が高く、ガス灯時代の照明器具が使われていることなどが挙げられます。2階からは直接ヴェランダに出ることができ、トスカナ式と呼ばれる太い柱とともに、異人館のような雰囲気を醸し出しています。東側のヴェランダからは、木立の向こうに大川を望むことができました。
室内でとくに印象的だったのが、2階北西室。楕円形の大きな鏡がデザインに組み込まれた暖炉が存在感たっぷりに鎮座しています。それから、ペンキで描かれた床の市松模様にも目を奪われました。これはタイルが高価だった当時、その憧れを表したものといわれています。
泉布観のすぐそばには、明治4年(1871)に完成し、国の重要文化財に指定された「旧造幣寮鋳造所正面玄関」があります。こちらも泉布観と同じ、造幣局建築のひとつで、造幣寮の中心建築物であった鋳造場の玄関を移築したものです。泉布観の公開時期には、この建物の外観もあわせて見学することができます。
造幣局や泉布観のそばに架かる桜宮橋(銀橋)から天満橋までの南北は毛馬桜之宮公園で、これからの季節、絶好の散策ルートになります。早春の風とともに楽しめる「泉布観」見学、みなさんもいかがですか?
※一般公開は、例年3月の3日間程度。詳細はお問い合わせください。
(※2008年3月に取材・掲載した記事です。)
住所
大阪市北区天満橋1-1-1
TEL
大阪市総合コールセンター なにわコール(年中無休 8時から21時まで)電話番号:06-4301-7285